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名古屋地方裁判所 昭和35年(む)458号 判決

被告人 大城東一郎 外一二名

決  定

(被告人氏名略)

右の者等に対する道路運送法違反被告事件につき、弁護人天野末治、桜井紀、森健、尾関闘士雄、大矢和徳、白井俊介より管轄移転の請求があつたから、次のとおり決定する。

主文

本件管轄移転の請求を却下する。

理由

本件請求の理由は別紙管轄移転請求書記載の通りであるからここに引用する。

裁判所の管轄とは、一定の裁判所が一定の刑事々件を審判する権利義務のことで、法律は、事物及び土地の二観点より一定の標準に基いて予め之を定め、裁判所の裁判によつても勝手に変更し得ない。その理由は、管轄を定めることが、事務分配の便宜の外に被告人が何の関係もない遠隔の地で裁判を受ける不利益を除くと共に、特定の事件のため恣意に裁判所が構成されるのを禁止することにある。然し法定の裁判所の管轄を厳守すると、訴訟経済や被告人の利益に反し、時には裁判の公平に背くことにもなるので刑事訴訟法は第二条以下第一九条、第三三二条においてある限度でその例外を認めている。そのうち同法第一七条に定める管轄の移転は、土地管轄のみならず、事物管轄に関しても許されるか、即ち、本来簡易裁判所の管轄に属し、地方裁判所に管轄のない罰金刑のみに当る事件についても、簡易裁判所より地方裁判所へ管轄の移転を許すべきかについて考えると、許されないものと解すべきである。

その理由は、

(1)  裁判所の管轄を定めた趣旨が前記の通りであつて、之を許す旨の規定が存在しないこと。

(2)  刑事訴訟法が明文を以て定めるところによれば、本来簡易裁判所のみに管轄のある事件を地方裁判所で審判するのは、第三条第五条のいわゆる関連事件のため、地方裁判所が簡易裁判所に係属する事件を併せて審判するときか、関連事件の場合並びに同時にもその事物管轄が地方裁判所にもある事件について第三三二条により移送するときに限られていること。

(3)  旧刑事訴訟法は第三五五条に「被告事件裁判所の管轄に属せざるときは判決を以て管轄違の言渡を為すべし」と規定しながら第三五六条に「地方裁判所は其の管内に在る区裁判所の管轄に属する事件に付管轄違の言渡を為すことを得ず」と規定して、区裁判所のみに管轄のある事件が地方裁判所に起訴されても、地方裁判所は事件の実体につき審判するのを本則とすることとしていたが、現刑事訴訟法は第三二九条において、被告事件が裁判所の管轄に属しないときは、判決で管轄違の言渡をしなければならないとすると共に、第三三一条で、裁判所は被告人の申立がなければ土地管轄について管轄違の言渡をすることができない、と規定しただけで、旧刑事訴訟法第三五六条のような規定を設けていない。従つて現刑事訴訟法は管轄違の場合、土地管轄については、被告人の申立の有無によつて管轄違の言渡をするか否かを区別しているけれども、事物管轄に関しては、申立の有無を問わず管轄違の言渡をしなければならないことが明らかであつて、ただ一つの例外として、第三二九条但書の、第二六六条第二項の規定により地方裁判所の審判に付された事件は管轄違の言渡をすることができない旨の規定があるに過ぎない。従つてこの但書に該当しないものは、原則に従つて管轄違の言渡をしなければならないから、刑が罰金のみに該当し簡易裁判所の管轄に属するため同裁判所に起訴された事件を、その管轄を有しない地方裁判所に移転する旨の決定をしても、事件の送付を受けた地方裁判所は、本条により管轄違の言渡をしなければならない。蓋し、法がもしかかる場合にも地方裁判所に管轄を認めることを欲するならば、第三二九条但書中にその旨の規定をおくべきであるのに、之を規定していないところから見ても、法はこの場合管轄の移転による事物管轄の変更を認めない趣旨であると解しなければならないからである。

(4)  弁護人は本条には事物管轄の移転をも含むとして、平野竜一著刑事訴訟法を引用しているが、之を含まないとするものに団藤重光著条解刑事訴訟法、滝川幸辰外二名著刑事訴訟法、小野清一郎著刑事訴訟法(ポケツト注釈全書)があり、本条と同じ規定のある旧刑事訴訟法の解釈に関しては、後説を採るものが数多くあるのに、前説に従うものは一つもない。

被告人等に対する道路運送法第四条第一二八条第一号違反事件は罰金刑のみに当る事件であるから、簡易裁判所の管轄に属し、地方裁判所は管轄を持たないから、以上に記載した理由により本件請求は正当でない。

なお弁護人等は、本件は事案複雑で憲法上の論点もあるため合議体裁判所で審判するのが、憲法第三七条第一項のいわゆる公平な裁判であつて、簡易裁判所や地方裁判所の一人の裁判官が審判すると、裁判の公平を維持することができないおそれがあると主張するが、同条の公平な裁判所の裁判とは構成その他において偏頗なおそれのない裁判所のことであることは多言を要しないところであり、この事件を担当する名古屋簡易裁判所川瀬裁判官にこの種の偏頗な裁判をなすおそれがあることは認められないし、又、刑事訴訟法第一七条第一項第二号所定の事項は、例えば、被告人がその地方の民衆全般の憎悪若しくは同情の的になつているとか大勢力家である等のため、その裁判所の裁判官全員が公平な裁判をし得ない嫌疑がある場合(一部の裁判官にその嫌疑があるときは忌避又は回避によつて目的を達することができる)等であつて弁護人等の主張はこれに該当しないことは明らかである。凡そ簡易裁判所や地方裁判所の一人の裁判官の裁判が、合議体裁判所の行う裁判より公平でないおそれがあるとの主張は、その主張自体全く根拠のない独断であるといわねばならない。

以上のとおりであるから本件請求は失当として却下すべきである。

(裁判官 井上正弘 平谷新五 中原守)

管轄移転請求書

一、請求の趣旨

頭書被告事件の管轄を名古屋地方裁判所合議部に移転されたい。

二、請求の理由

(一) 刑事訴訟法第十七条は事物管轄の場合をも包含するものである(平野竜一刑事訴訟法有斐閣法律学全集 六〇頁)

(二) 右被告事件は事案複雑の上憲法上の論点も多岐にわたつているので合議体の審理を相当と考える。

そして、一般に、合議体による審理は単独裁判官による審理に比較して憲法第三十七条第一項に所謂公平な裁判により合目的々である。

(三) 然るに名古屋簡易裁判所に於ては合議体の構成が法律上不可能である。

(四) 右は刑事訴訟法第十七条第一項第二号に所謂「その他の事情により裁判の公平を維持することができないおそれがあるとき」に該当するものである。従つて同条第二項により直近上級裁判所である名古屋地方裁判所合議部に前記請求の趣旨記載のとおり管轄の移転を請求する。 以上

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